世界は広い。

 芽泰奏助は「燃やすゴミ」というラベルが貼られたごみ箱を見ながら、そう実感した。

 大学構内にあるそのごみ箱を見た時、何かが違うと感じた。続く数秒でこの違和感は何に由来するのかと考えていたが、その疑問はたった今氷解した。

 奏助の地元・山梨県において、人びとはごみを自分で燃やそうとは思っていない。ごみとは、自分たちの関知しない何処か――と言っても焼却場の存在は誰もが知っているだろうが――で勝手に燃えるものだったのだ。

 

 だが、京都の人びとは違うのである。彼らにとって、ごみ箱にごみを捨てるという行為は、自分たちが意識的にごみを焼却場へと送ることを意味しているようだ。だから、可燃物を処分する時の彼らはその焼却処理に加担している積極的な主体なのであり、分別を示す際には「燃えるゴミ」ではなく「燃やすゴミ」という表記が用いられているのだろう。

 

 流石、都の人間は意識が高いと言うべきか、ただ受け身なだけではないと言うべきか。高いのはプライドだけではなかったのだ。奏助は感心した。そして同時に、この世にはまだまだ自分の知らないことが存在しているのだと痛感した。世界は、奏助の想像よりも遙かに大きいのだ。

 

「そのごみ箱に何かあるのでござるか」

 横から聞こえた声によって、奏助はハッとした。そして思考の渦から現実世界へと引き戻された。

「もしかして、熱中症でござるか。た、大変じゃ。お主、春に熱中症になるなんて、日頃外出しなさすぎるのじゃ」

 自分の真横で慌て始めた青年を見て、奏助は溜め息を吐いた。

「今度は溜め息なんか吐いて。お主、本当にどうかしたのでござるか」

 奏助は首を横に振った。

「どうやら俺の感受性が高すぎるみたいで、この先の人生が不安になったんだ。だって、大嶋大みたいな奴ともう丸三年も一緒にいるけど、まだ俺は些細なことで驚いたり感じ入ったりできるんだ。余っ程繊細に生まれついたってことじゃないか」

「拙者みたいな奴とは一体どういう意味でござるか、奏助」

 食ってかかってきた青髪の美青年に目を遣りながら、奏助は心の中で嘆いた。

 嗚呼。どうしてまだ大嶋大は俺の傍らにいるのだろうか。

 

 大嶋大。彼のことを端的に表してくれと頼まれたならば、どう答えるべきだろうか。天才、美の化身、奇想天外、オールラウンダー、規格外……。否。どの言葉も大嶋大のことを言い表すのには不十分だ。そこで、奏助はその質問にはこう答えるようにしている。「大嶋大は大嶋大だ、としか言うことはできない」と。三年間の高校生活を経てこの答えを導き出した奏助は、これ以上にパーフェクトな解答は存在しないだろうと自負している。

 

 何しろ、大嶋大と出会った人びとは彼のことを「大嶋大」としか呼べないのである。高校生活をともに過ごしてきた筈の奏助が彼のことをフルネームで呼ぶのは、何処か他所他所しい感じがするだろう。しかし、奏助にとってそれは不可抗力なのだ。それが何故なのかは誰にもわからない。大嶋大のことを姓や名や渾名で呼ぼうと試みた者は誰であれ、何故かその口を突いて出るのは「大嶋大」という正式名称なのだ。

 大嶋大が特異な点はそれだけではない。その並外れた美貌も、彼を大嶋大たらしめている所以だ。まず人目を惹くのは、その鮮やかなブルーヘアーだろう。サラッとした柔らかそうな髪の毛は、夏の青い空を連想させる。こんなに綺麗な髪の毛の持ち主とは如何なる人物か。そう思って髪から顔面へと移動していった視線は、そこで固定される。大嶋大の顔立ちの麗しさには、老若男女問わず視線を釘づけにされてしまうのだ。くっきりとした二重の目元、品のいい口元と高い鼻、それに透き通った肌は、神々しいとも言えるほどの魅力を放っている。それぞれのパーツの理想の形を寄せ集めてできたかのような顔は、最早美の権化としか言いようがない。

 そして、大嶋大は天性の美貌に甘えるような怠惰な人間ではない。何時見ても毛の流れが整っている平行眉は、彼が日々のケアを怠っていない証拠だ。それに、大嶋大の肌に#面皰#にきび#ができているところを、奏助は一度も見たことがない。若者なら誰もが経験するだろうお肌のトラブルも、大嶋大はばっちり防いでいるのだ。加えてファッションセンスも抜群だ。今日はモノトーンでシックに決めていて、鮮やかなブルーヘアーがよく映えていた。小物遣いも上手で、自分の魅せ方を承知している人のファッションだと奏助は密かに思っている。かと言って高級ブランドで決めているという訳では断じてない。一つ一つのアイテムは、貧乏学生である奏助がお世話になっている量販店で売っているものなのだ。金にものを言わせている訳ではなく、天性のセンスで勝負しているのだろう。制服だった高校生の時分には奏助が知らなかった、大嶋大の新たな一面である。

 一風変わった言葉遣いも、大嶋大のオリジナリティを高めている。自称は「拙者」であるし、「ござる」や「そうじゃ」といった何処か時代がかった言い回しを至極当然であるかのように#吐#ぬ#かす。洗練された若者だと思って彼に声をかけた人間は、その見た目と言葉遣いのギャップに度肝を抜かれる羽目に陥る。

 これまで列挙した特徴だけでも、大嶋大が如何に独創的な人間であるかは十二分に理解していただけただろう。だが、それだけでは終わらないのが大嶋大である。何よりも大嶋大を大嶋大たらしめているのは、その性格なのだ。

 彼は広範に渡る趣味を嗜んでいる。華道、茶道、香道の三道から、柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道、少林寺拳法、薙刀、銃剣道の九つの日本武道に至るまで、それぞれの奥義を極めているのだ。その上、話者が数人しかいないような言語さえもネイティブスピーカー並みに駆使する能力や、各国の文化や風習に精通していることによって、大嶋大は日本のみならず世界の舞台で活躍している。パリコレに出演したと言っているかと思えば、サグラダ・ファミリアの工事現場の監督をしてきたと報告してくる。日本の伝統文化に対する尊敬の念を保持しつつワールドワイドな視野も持ち続ける。大嶋大とはそんな人間なのだ。それに、大学に入学してから彼の活動範囲は益々広がっている。どうやらアプリで知り合ったらしいおじさんたちと一緒に、週末は釣りやバカラやダーツなどをして過ごしているようだ。それに、教授の覚えもめでたく一回生ながら複数の研究室にも出入りしている。こんなに個性豊かな人間、この世界広しと言えども大嶋大しかいないだろう。

 そして。問題はここからなのだ。奏助は今年の四月、念願叶って京都大学に入学した。山梨県から京都大学に進学するのは例年四、五人。県内に高校なんて無数に存在するのだから、きっと同じ高校から入学する人はいないだろう。そう奏助は思っていた。だから、知り合いが零の状態から始まる新生活になる予定だったのだが――

 

「お邪魔するでござるよ。はい、引っ越し蕎麦でござる」

 四月一日。引っ越しの作業が終わり、奏助が一人暮らしの六畳間で一息を吐いたその時。インターホンを鳴らして顔を見せたのは大嶋大だったのだ。蕎麦を受け取って裏の表示を確認した後、奏助は口を開いた。

「なんで」

「お主は二八蕎麦よりも一〇割蕎麦の方が好みじゃと思っておったのじゃが。二八蕎麦の方がよかったでござるか」

「いや。蕎麦よりも饂飩がよかった」

「じゃが、饂飩よりも蕎麦の方が高級でござるよ。新居で食べる最初の食事なのじゃ。折角ならばいいものを食べた方がよいでござる」

 そう言うや否や大嶋大は奏助の家に上がり込んだ。そして「一口コンロでござるか。まあ奏助は自炊などしなさそうでござるから、これで十分なのかもしれぬが」などと勝手に人の家の品定めを始めた。

「ところで、大嶋大は俺の家なんかで油を売っている暇があるのか。お前だって来週くらいから大学が始まるんだろう。東京だっけ。引っ越しはもう済んだのか」

「お主、何か誤解しているでござるよ」

 

 奏助の家にまだ調理器具が揃っていないことを見越していたのだろう。背中に括りつけていた風呂敷から両手鍋を取り出しつつ、大嶋大は奏助を見た。

(続きは『蒼鴉城』第49号でお楽しみください)