潮の獣   

白洲尚哉

 

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 テレビで毎年恒例の猛暑のニュースが流れている。今では異常に暑いのは熊谷や館林だけじゃないらしい。私の住む鷹森市も例に漏れず、今日で十日連続の猛暑日だと若いアナウンサーが伝えている。それが終わると、ニュースの話題は猛暑から行方不明の少女に移り、今年で失踪から二年、母親は悲痛な思いを語る――と神妙な面持ちで同じアナウンサーが伝える。話題によって表情をコロコロ変えるのは、アナウンサーに必須のスキルらしい。

 私は、名前を西島志穂という。鷹森市で生まれ育ち、春から鷹森大学に通っているピチピチの大学生。今は夏休みで、数少ない大学の友人はみな帰省してしまった。帰省先のない私は自宅であり実家であるこの家で大学生の夏休みを過ごしていた。

「あ、まただらだらしてる。宿題はやったの?」

 洗濯かごを抱えた母に見つかった。

「宿題って……高校生じゃあるまいし。夏休みの宿題とかないよ」

「この前あるって言ってたじゃない。レポートがどうとか」

 ――あ。そういえばそうだった。夏休み直前の基礎ゼミで、地元の伝承や伝説についての課題レポートが出されていた。確か母親に、「小学生の自由研究じゃあるまいし」とか言った気がする。

「あったわ。大学の課題」

「そうでしょ? 早めにやりなさいよ」

「うん」

 私は身を起こし、テーマ探しをすることにした。

 

 

 自室の本棚から妖怪関係の本を引っ張り出し、ぱらぱらとめくりながら鷹森市、あるいはもっと広いK**県の名前が出てくるものを探し、まっさらのノートにピックアップした。

 

・屋嶋の太三郎狸(鷹森市屋嶋、屋嶋寺)

・西峯の崇徳上皇(S市五方台、西峯寺)

・川女郎(N郡M町)

・ナメラ筋(鷹森市)

・夜行さん、首切れ馬(H市、M市)

 

 うーん、単純に資料の数でいえば、崇徳上皇、太三郎狸、夜行さん・ナメラ筋の順で多そうだけれど、崇徳上皇と太三郎狸は保元の乱やら源平合戦やらに関わってて、歴史側の考証を重点的にしないといけない気がする。夜行さんはメジャーなだけに資料はあると思うけれど、本質に迫るとなると手掛かりを得るのに時間がかかりそうだ。ナメラ筋も有名だが、古代のレイラインとか地域区画とかに絡んでさらにややこしそうだ。別に調べるのが嫌なのではないが、レポートの文字数が二千字程度と少し短いため、収まりきりそうにない。かといって川女郎はマイナーで、イマイチどうやってアプローチすれば良いのか分からない。

 うんうん唸りながら妖怪の事典を閉じ、地元の郷土史に手を伸ばした。民話のページまで飛ばし、めぼしいものを物色していると、

 

「根城寺の牛鬼退治」

 

 と、なにやら面白そうなタイトルが目に入った。そのタイトルを見て、私は鷹森市に牛鬼の伝説があったことを思い出した。確か、オーソドックスな妖怪退治譚だった気がする。小学五年生の時、遠足で根城寺に行き、そんな話を聞いたのも思い出した。

 これにしよう、とすぐに決めて、ノートの新しいページの上部に「根城寺の牛鬼退治」と講義のタイトルみたいに書いた。そして、ネットで根城寺を検索して、出てきた番号に電話をかけた。

 

 

 根城寺にアポを取りつけて三日後。バスで市中心部から西にある根城寺に向かい、根城口というバス停で降りた。バス停にはところどころに赤錆のある丸と長方形の標識が立っていて、それ以外はなにもない。

 しばらく歩くと、五方台が見えてきた。東西南北と中央の名前を冠した峰があるからそう呼ばれており、目的地の根城寺は、東峰の頂上にある。つまり、今から山歩きだ。

 アスファルトの車道を歩いているうちに、体中のそこここから汗が噴き出してきた。木々の間から日が差し込み、首から下げたペンダントがそれを反射した。ペンダントは水晶に銀の修飾が施されたもので、幼馴染にもらってからいつも身につけている。山の木々がある程度日差しを防いでいるとはいえ、昼過ぎの気温は体に応える。持ってきた麦茶を何口か飲み、額の汗を拭って根城寺を目指した。

 根城寺に着いて最初に目に入ったのは巨大な山門と、そこから少しはずれたところに立つ牛鬼の像だ。二本の角に巨大な目、口からはみ出た太い牙。中腰気味に立ったまま、左手を頭上に掲げ、右手は体の中段あたりに伸びている。また、両手首には鋭い鎌状の爪が一本ずつ生えており、そのあたりから腰にかけてムササビのような膜が張ってある。そのポーズは、恐ろしい怪物というよりも、特撮ヒーローの怪人が戦闘態勢を取っているように見えた。

 山門をくぐり、石畳の参道を歩いていく。二つ目の門を抜けて境内に入ると、作務衣姿で掃き掃除をしている人がいた。

「すみません」

「はい、なんでしょうか」

「先日取材の約束をした者なのですが」

 そう言うと、寺男らしき人は事前に知らされていたらしく、快く境内と分けられた居住スペースのほうへ案内してくれた。

 庫裏と呼ばれる居住スペースは、寺院の建物とは違い、普通の平屋だった。寺男さんの案内で、応接間らしき和室に通された。

「今日はよくいらっしゃいました」

 住職らしき壮年の僧侶が、丁寧に頭を下げた。

「こちらこそ、お忙しい中ありがとうございます」

 しばらく互いに挨拶を交わし、改めて取材の目的を説明、諸々の約束をした。住職はすべて快諾してくれた。また、取材のために録音したいと申し出た時も、「課題以外に使わない」という条件のもと承諾を得られた。

「では、根城寺の伝説についてお訊きします」

 本題に入り、住職は伝説を語りはじめた。

 

 

 昔、牛鬼という怪物がいて人畜を害していました。人々は牛鬼の被害に困り果て、藩主に退治を願い出ました。願いを聞いた藩主はそこで、弓の名人である川田蔵人清平に牛鬼退治を命じ、清平は弓を携え退治に向かったのです。

 しかし、清平が何日山を探しても牛鬼は見つかりません。そこで、清平は当山の観音菩薩様に祈願し、十七日の間願掛けを行ったそうです。

 そして満願の暁、当山の裏手にある崖下がピカリと雷のごとく輝きました。清平が急いでそこに向かうと、そこには巨大な牛鬼がいたと言います。清平はぐっと弓を引き絞り、続けざまに矢を放ちました。すると、ビュンっと飛んだ矢が目と喉元にあたり、ぐおー、とかぎゃああ、とか、牛鬼は雷鳴の轟くような声を上げて逃げ出しました。牛鬼が逃げ出した後、そこには血が残っており、牛鬼が逃げていったほうへ続いていました。それから血の跡を辿っていくと、二キロほど西にある、牛が渕というところで死んでいたと言います。

 退治に成功した清平は牛鬼の角を切りとり、藩主からもらった褒美の禄米六俵と牛鬼の角を当山に奉納し、牛鬼の菩提を弔うことにしたとされます。

 そのときの角とされるものは今でも当山に宝物として残っています。

(続きは『蒼鴉城』第48号でお楽しみください)