オブスクラ

鷲羽巧

 

          □

 

 暗闇のなかで、ぼくは説明をつづけた。

「写真家は店先の窓ガラスに反射する自分自身を映しています。くすんだウインドウ越しにうかがえる店内は暗くひとけがない。荒れた様子からしてすでに潰れているのでしょう。もとは写真館だったようで、ウインドウの手前には簡素な額に収まって写真が三枚飾られています。向かって左から、東山の稜線を映した風景写真、視線を揃えてこちらに投げかける家族のポートレート、街路で表情もなく踊っている男女のスナップショット。それらには写真家の反射像が重なっている。――幽霊のように」

 室内は鎧戸が閉め切られ、遮光カーテンを引けば昼間でも陽は差さない。ましてや時刻は七時を回っている。外は雨。晩秋。雨滴は冷たく透き通っているだろう。けれどもそれら外界からこの部屋は切り離されている。邸宅の映写室、十畳もないささやかな空間で、話者はぼく、観客はひとりきり。

 光源は、中央に据えられたプロジェクタのみ。

 スライドを手動でめくっていく旧型だった。ドラムを回すと、かしゃん、機械は瞬きするようにスライドを切り替える。小さなリバーサルフィルムに圧縮された映像を光が白幕へと解凍して投射する。

 映し出されているのは一枚の写真だった。ポラロイドカメラ特有の淡い色調は、プロジェクタを介することでいっそう曖昧な印象を与える。その内容をぼくは描写した。ウインドウに反射する写真家は丈の合っていないシャツを身に纏い、眼からカメラを離して下腹部で抱えながらシャッターを切っている。顔はウインドウに貼られたポスターで恰度切り取られるように隠れていた。カメラのことならおまかせとポスターは謳う。あなたの思い出を永遠にしませんか?

「ガラスに反射する往来には写真家以外ひと影がなく、彼女の顔も失われています。向かいの家の塀や店の壁に貼られたポスターがかろうじて時代を感じさせますが、むしろ印象づけられるのはそうした時代から文字通りガラス一枚隔てたような静寂です。写真の裏面に走り書きされたメモによれば撮影場所は京都、一九八四年。小笠原律が遺した唯一のセルフ・ポートレートです」

 そこで言葉を切る。語られた内容が相手に咀嚼されるのを待つ。

 写真が絵画と決定的に異なるのは写真を描画しているのは被写体から反射してきた光だと云うことだ。写真と被写体は光をへその緒として繋がっている。それはかつてあった。ロラン・バルトが論じたように、被写体がかつてそこにあったことをぼくたちは決して否定できない。

 ――本当に?

 スクリーンに映された写真、そのなかに反射する写真家は、本当にかつてそこにいたのだろうか?

 ぼくが〈顔のない顔〉と名づけ、多岐は素っ気なく〈一枚目〉と呼ぶその写真は美的に優れているわけではなかった。フォーカスはぼやけているし、光の当て方もなっていない。反射像による自画像と云う趣向や写真家の顔を隠す構図はいかにも意味深長で興味を惹くけれど、オリジナリティがあるわけでもない。重要なのは映像ではなく言葉のほうだった。写真の持つ意味、フレームの外にある文脈をもって、写真の価値を高めること。その云わば詐術が通用するかどうかが第一の関門だった。

 プロジェクタの放つ光の向こう、暗闇に半身を沈める老人をぼくは見つめる。座り心地が悪そうに椅子へ深く腰掛ける彼の表情はうかがえない。数分にも思われた、実際は数秒の沈黙のあと、彼は唸るように喉を鳴らした。

「どうした? つづけなさい」

 彼が何を思っているのかはわからなかった。乗ってくれているのか、泳がされているのか。いずれにせよ説明は止めないようだ。

 老人が視線をスクリーンに戻したのを確認すると、ぼくはいかにも発表原稿を見るような手振りで携帯端末を起動した。手のひらをかざして光量を抑えながら、呼び出したチャット画面に打ちこむ。「一枚目突破

 多岐の返事は早かった。「こちらも突破。侵入成功

 多岐の足音を聞いた気がした。もちろんそんなことはあり得ない。彼はいつも猫のように歩き、足音を立てず、気配を殺す。けれどもそれでぼくは励まされたように勢いづいて、プロジェクタのドラムを回した。

 かしゃん。

 めくられたスライドに映っていたのも、また窓だった。簡素なアルミサッシの滑り出し窓は磨りガラスが嵌められ、眺望よりも採光と換気が役割だとわかる。住居ではなく何らかの施設――おそらくは大学の校舎。かつては清潔感があったのだろうモルタルの白い回廊は斜めに差した陽によって薄汚れた表面を暴かれている。フレームの端に見切れる芝生の緑。

 窓の向こうに誰かがいるけれど、一切の造作がぼやけて判別できない。

 それが誰なのかぼくは知っている。そこがどこなのかぼくは知っている。しかしぼくはこたえを口にすることなく「一九八八年」と代わりに云う。

「――小笠原律とはどのような写真家なのか。それを語る前にまず、ぼくがどうやって彼女を発見したのかを説明しましょう」

 チャットにはひと言、書きこまれてあった。

グッドラック

 

          □

 

 ポラロイド写真の裏面に書いた日付から三十年後の二〇一八年。小笠原律をめぐる計画は、この窓の向こうからはじまった。

 影の正体は多岐尋次と云う。ぼくよりふたつ上の二十六歳。留年を繰り返している学生であること以外に彼の社会的立場をぼくは知らない。まだ学部に所属しているのかも疑わしい。勉学に励む様子もなく、かと云って遊びほうけるのでもなく彼は日々を気ままに過ごし、自分の興味関心をのみ追いかける。そうしてときおり胡乱な話をどこからともなく仕入れてきては、ぼくに持ちかけるのだ。

 その日も多岐は胡乱な話を携えていた。七月で、猛暑だった。旧文学部研究棟の隅、もとは映像学科かどこかの演習室だったものを研究科再編のどさくさに紛れて多岐によって占拠された名もなき溜まり場は、冷房を稼働させてもなお蒸した。部屋の奥の窓は繁る葉に覆われ、室内は心なしか緑色に染められていた。

 二ヶ月ぶりに姿を見せた多岐は髪を刈り上げて涼しげだった。長身痩躯を折り畳んで丸椅子にしゃがみこむ姿は彫像に象られる悪魔めいていた。

「二〇世紀で最も偉大な写真家は誰だ?」

 久しぶりと挨拶することもなく、ぼくが扉を開けるなり彼はそう切り出した。昨日もここでこうして雑談した、そのつづきだとでも云うように。

 そしてぼくも、昨日のつづきのようにこたえた。

「エドワード・マイブリッジじゃない?」

 多岐とのやり取りはいつもそうだった。

 彼はかぶりを振る。

「マイブリッジは偉大かも知れないが、一九世紀だろう」

「そうか。そうだっけ」

「そもそもどうしてマイブリッジが偉大なんだ」

 ぼくは考えた。とくに根拠があるわけではなく、咄嗟に口をついて出た名前だった。

 映画の先駆者と呼ばれる発明家は何人かいる。トーマス・エジソン、リュミエール兄弟、ルイ・ル・プランス――二回生の春に教養科目でとった映画史講義は、監督よりも彼らの名前のほうが印象に残っていた。映画と云う表現よりも映像と云うメディアのほうが興味があるから、なんてことはない。要するに映画史のはじまり――まだ出席しなくなる前、第一回の内容だったからだ。

 講義ではとくにエドワード・マイブリッジに説明が割かれた。極小間隔での連続撮影と云う映画の祖先。彼の業績として有名な疾走する馬の連続写真をスライドで一枚一枚、見せられたことを憶えている。次々切り換わるスライドのなかの馬はやがてアニメーションになった。切り刻まれ、貼り合わされ、光のなかを走り出す。

 連続写真は人間の眼には捉えきれなかった運動を捕まえ、馬がどのように走っているのかを明らかにした。そのとき、云うなればカメラは人間の眼を更新したわけだ。

 ぼくはそんなことを話した。マイブリッジは写真と云うメディアの可能性を、さらに押し広げたのだと。映画そのものを発明した者たちとは違う、これはむしろ写真家としての功績である。

 多岐は呟いた。

「合格だ」

「は?」

「やっぱりお前は才能がある」

 口角を上げて云われても、褒められた気はしなかった。

「しかし質問にはこたえていない。二〇世紀で最も偉大な写真家は誰だ?」

 ぼくはもう一度考えた。

 問われているのは、偉大な、である。優れた、でもなければ、人気のある、でもない。好きな写真家ランキングの第一位と云うわけではないのだろう。マイナーであろうと、重視されているのは影響や業績、史的文脈であるはずだ。とは云えぼくは写真史に明るいわけではないし、多岐もそれは承知している。彼は相手の無知を嗤う人間ではない。

 そこで気になったのは、二〇世紀と云う括りだった。史上最も、ではない。戦後や、近代以降、そう云った歴史区分ならわかりやすい。だのに極言すれば数字でしかないその百年紀をあえて指定したのは、暦の区分以上の含みがあるからだろう。

 スチールラックが目に入った。演習室だった頃の名残で、ビデオデッキやテープの収納ボックスが並んでいる。貼られたラベルはドキュメンタリー。タイトルのひとつに「映像の世紀」。

 わかった気がした。

「アウグスト・ザンダー?」

 多岐は手を拍った。

「よくわかったな」

「そこにあるからね」

 二〇世紀の幕開け大量殺戮の完成。それらビデオの入ったボックスの隣に写真集が挟まれていた。『時代の顔』。

「で、ザンダーが何? いまさら写真でも研究するの?」

「違う。いや、部分的にはそうだ。面白い話を仕入れてね」

 多岐が云う面白い話とは、胡乱な話の謂である。

「ザンダーは『時代の顔』で知られるドイツの写真家だ。農夫、教師、学者、海兵、手品師。階級によらず、職業を問わず、彼はあらゆる人物写真を撮りまくって二〇世紀の人類を収集しようとした。戦前までに撮影したのは数万枚と云われる。美的表現を超えたとんでもないプロジェクトだ」

 多岐は針金のような腕を伸ばしてラックから日本版の『時代の顔』を抜く。ページを何枚めくっても出てくる、顔、顔、顔。

「しかし時代が時代だ。ザンダーの仕事はナチスに目をつけられ、写真集は焼却される。生き延びたネガも戦後のどさくさで大半が失われた。ザンダーは戦禍を生き延びたし、戦後はネガの編集も進められたが、『時代の顔』をも包括する真のプロジェクト〈二〇世紀の人間たち〉はついに未完に終わる」

 ばん、と多岐は写真集を閉じた。

「悲しい話だ」

「そうかな? とても面白いと思うよ、おれは」

「悲劇も遠くから見れば……」

「喜劇? いや、そう云うことじゃない。おれはそんなニヒリストじゃない」

「そうかな?」とぼくは繰り返した。

「面白いのはこれからなんだよ。〈二〇世紀の人間たち〉は未完だ。そもそもの構想が壮大すぎて永遠に完成しないプロジェクトだったとも云える。やろうとしていたことは全人類、そうでなくとも当時のヨーロッパの人間を類型化することだったんだからな。しかしわれわれには残された写真を弄くり回すほかない。〈二〇世紀の人間たち〉はそれ以上広がらない。――だが、もしもそれが広がるとしたら?」

(続きは『蒼鴉城』第48号でお楽しみください)