タイムカプセル、タイムマシン

江利川靖士

     1 依頼

 

 僕の通う高校の駐車場には記念碑がある。

 高校に入学してからこの一ヶ月、僕は毎日その記念碑を横目に登校していた。その記念碑に何か違和感を覚えるようになったのは十日ほど前、ちょうど高校初のゴールデンウィークが明けたころのことだった。

 はじめのうち、どこに違和感を覚えているのかわからなかった。しかし疑問を抱えながら登下校を繰り返すうち不意に気がついた。違和感の理由は記念碑の土台となるコンクリートにあった。入学直後はコンクリートは劣化して黒ずんでいたはずなのに、時間を巻き戻しでもしたかのように白いつるつるのコンクリートに変わっていたのだ。

 一体どういうことかとクラスの何人かに訊いてみると、あの記念碑の下にはタイムカプセルが埋まっていたらしい。四十年前に埋められたとかいう代物で、この五月の頭、当時の卒業生が集って掘り出しと開封の作業を行ったのだそうだった(僕にその話を聞かせてくれた男子生徒は運動部に所属していた。たまたまカプセルの掘り出し作業を手伝ったのだという)。今年は記念すべき創立五十周年にあたる年です、という話は入学以来折に触れて聞いていたが、まさかタイムカプセルが埋められていたとは思わなかった。

 今僕の目の前にある窓からはその記念碑が見えていた。帰宅する生徒たちが、ある者は徒歩で、ある者は自転車で、石碑の前を通って校門へと向かっていく。先生が乗った車も記念碑の前を横切っていく。五月十五日水曜日。その放課後、僕は校舎の端で外を見ながら人待ちをしていた。

「おう、もう来てたのか」

 後ろから声が掛かった。振り返ると甲斐かい佑介ゆうすけ先輩が手を振っていた。

「ごめんなとうげ、急に呼び出して」

「いえいえ。帰宅部なものですから。どうせ暇してます」

 彼から急な呼び出しを受けたのは今日の昼休みのことである。前触れなく一年の教室にやってきた彼は、教室の新入生を少しざわつかせ(不良っぽい見た目なのだ)、僕を呼ぶなりちょっと話がしたいと言いつけた。時間は放課後十六時、場所は校舎西端の視聴覚室前。その時間、その場所なら人気はないはずだから、とのことだった。

 入学して時間が経っていないのでまだこの学校には不案内だが、こうして来てみると確かに物寂しい場所だった。人に聞かれたくない話をするときにでも重宝しそうだ、と心の中でメモしておく。マキャベリだって、君主たるもの、領地の地理的特性は日ごろから把握しておくべきと言っていた。まあ、僕は別に君主でもなんでもないのだが。

「それで、今日はどんなご用件ですか?」

「峠ってさ、中学のころ、人の相談事の解決みたいなことよくしてたじゃん? トラブルとか、厄介事に首を突っ込んだりしてさ」

「まあ……、してはいましたが」

 その言い方には多分に語弊があるという奴だが、先輩の言葉は概ね事実だった。『トラブルとか厄介事に首を突っ込む』。まあ、人の相談に乗っているうちにそんな羽目に陥ることも時折あった。

「実は彼女のことで困っててさ。頼みたいことがあるんだよ」

「恋愛に関する話ですか? その手の話題は僕はあまり得意じゃないですけど」

「いや、恋愛相談とかってわけじゃない。そうだな、どっから話せばいいんだろ。峠、お前、先々週にタイムカプセルが掘り出されたって話は知ってるか?」

 僕は「ええ」と頷きを返す。

「なら話が早い。その開封のときに、カプセルの中からちょっと物騒な手紙が見つかったんだ。直接見せたほうがわかりやすいな」

 先輩は制服のポケットに手を突っ込んだ。ゴムのカバーの付けられたiPhoneを取り出すと、机の上に置いた紙を撮影したと思しき画像が写っていた。ノートの切れ端だろうか、左端が粗雑に千切られたその紙には、横書きで文字が書かれている。

「ちょっと触ってもいいですか? 拡大しないと読みづらいので」

「いいよ。その画像の次からも何枚か続いてる」

 僕は先輩からiPhoneを受け取って、画面を拡大しつつその手紙を読んでいった。筆跡はかなり独特、しかも急いで書いたのか、文字と文字が繋がっていて読みにくい。しかし書かれた文章そのものは整然としたものだった。手紙に書いてあったことをまとめれば曰く――

 

三田みたあきら

 中町なかまち康之やすゆき

 それから、三田を擁護した頭の腐った連中。

 お前たちを僕は絶対に許さない。

 

 この手紙は、僕から未来の僕へ捧げる復讐の誓いだ。

 今日は昭和五十四年七月十二日。僕は今、美術部の部室でこれを書いている。最初はそんな予定はなかったが、ま、もののついでだ。

 

 三田明。

 お前は卑劣にも盗作に手を染めた。しかもその絵で総高美の銀賞を受賞した。本当は僕が受け取るはずだった銀賞を。それでも謝罪の一つでもすればいいものを、こちらが盗作を問い詰めてもしらを切る始末。

 

 中町康之。

 お前は三田の盗作に関する僕の訴えを退けた。それだけではない。お前こそが三田に僕の絵の構図を盗ませた。お前は技術不足を理由に僕の絵の出展を拒否しながら、三田に賞を取らせるためにその絵を利用した。

 

 僕は奴らに必ず復讐する。僕の恨みを思い知らせる。まず三田と中町は絶対だ。それから三田を庇った奴の中からも、とりわけ酷かった奴を二、三人。鈴本早枝さえ、お前は絶対だ。

 

 流石に殺そうとは思わないが、殺してもいいくらいの思いで臨む必要がある。方法はそう、まだ決めていないが、三田の右手をずたずたにしてやることは決まっている。指を引き千切るほどに傷つけ、手の腱を切り、二度と絵筆を持てないようにしなければならない。

 復讐は必ずやり遂げる。

 

 昭和五十四年七月十二日 千丈幸哉』

 

「……なるほど。これは確かに穏やかじゃありませんね」

 僕は先輩にiPhoneを返しながら言った。

「だろ? キモいっていうか、普通に怖いよね。これが今月頭にカプセルの中から見つかったんだってさ」

「なるほど。しかしそれが先輩の彼女さんとどういう関係があるんです?」

「俺の彼女――他校の生徒なんだけどさ、大原唯(ゆい)っていうんだ。で、唯の父親がうちの学校のOB、それもタイムカプセルを埋めた代の卒業生なんだ。で、唯の父親もカプセルの開封式に来てて、その手紙を発見する現場に居合わせたわけ」

 なるほど、そう繋がるか。

「ですが、手紙が『発見された』というのはどういう意味ですか? その千丈って人は開封式には来なかったということでしょうか」

 埋めた本人がそれを受け取っていれば『発見された』とは表現しまい。

 先輩は案の定、「うん」と頷いた。「ていうかその千丈って人、死んでるんだよ」

「なるほど。まあ、埋めてから四十年も経ってますからね。その間に――」

「違う違う。死んだのは最近じゃないんだ。四十年前。それもその手紙を書いた翌日に。喉を突いて自殺したらしい」

 ほう、と口から驚きが突いて出る。死者からの手紙というわけか。文面自体も物騒だが、それだけというわけではない、と。

「二週間前、タイムカプセルの開封式から帰ってきた唯の父親は様子がおかしかったらしい」と先輩は説明しだした。「こそこそとどこかに電話を掛けたりな。不審に思った唯は父親の部屋に忍び込んだ。そしてその手紙を発見したんだ」

 あとの展開は早かった。千丈幸哉というのが何者か、父とはどんな関係なのかが気になった彼女は卒業アルバムを調べ、千丈さんが亡くなっていたことを知り、さらに文集からその死が自殺であることを知るに至る。

「これが唯が見つけたっていう写真」

 千丈さんの手紙の次には卒アルと文集を写した写真が保存されていた。卒アルのクラスページには四角く縁取られたバストショットが並んでいたが、一枚だけ楕円に切り取られた写真があった。その下には『故 千丈幸哉』と書かれている。文集は担任のコメント欄を写したものらしい。『千丈くんは去る七月十三日、受験ノイローゼに苦しみ自らその尊い命を断ちました』、『私たちは、彼の分まで精一杯生きていきましょう』。

「――で、唯は今、かなり気に病んでるらしいんだ」

 iPhoneをポケットに戻しながら先輩は悩ましげに言った。

「千丈幸哉が死んだのは七月十三日のことだった。ところがあの手紙が書かれたのはその前日――七月十二日だ。手紙に書いてまで復讐を誓った人間が、その翌日に自ら命を投げ出すなんておかしい。唯はそう言ってる」

 確かに。妙といえば妙である。

「釈然としないものがあるのは事実ですね」

「そうか? 俺はそうは思わないが……。人間、何を考えるかわからないだろ。復讐を誓った次の日に激しく死にたくなるなんてことも、もしかしたらあるかもしれない」

「それはそうですけれど。――ともかく、しかし先輩の彼女さんはそうは考えていないと」

「そう。唯の父親は美術部の部長だった。そして手紙には、千丈と美術部の一部部員が盗作騒ぎを巡って対立していたと書かれてた。その対立がもとになって父親が千丈を殺してしまったんじゃないのか、唯はそう恐れてるみたいなんだ」

 甲斐先輩は頭を掻く。

「繰り返すけど、俺はそんなわけないって思ってるよ。当時の警察が自殺と断定したんだ、それなりの根拠があったんだろ。けど、唯はそれじゃあ納得しない」

「では、僕に頼みたいことというのは?」

「千丈の自殺がどんなだったのかを調べてほしい。それで、唯の父親が殺しただなんてありえないんだってことを、唯が納得するだけの根拠を見つけてきてほしい。――ほんとは俺がやるべきだとは思うんだけどな。けど、レギュラー入りに向けて今は頑張りたい時期なんだ。どれだけ時間が掛かるかわからない調べ物には迂闊に手を出せない」

「わかりました……」と僕は言った。できるかどうかわからないのに安請け合いしてしまうのが自分の悪いところだな、と思う。言い訳のように、「ご期待に沿えるとは限りませんが」と付け加える。

「ありがとう。助かるよ」

 先輩はほっとした表情で言った。

 それから僕はいくつかの確認を取った。第一に大原唯さんに調査を他人に任せる許可を取っていること。それから第二に、僕がこの手の調べ物に当たる場合、二人で動くケースが大抵だということ。

「ああ、わかってるよ。中学の後輩にこういうのに慣れてる奴がいるって唯の承諾は貰ってるし、二人組で動くことが多いらしいってのも話してる」

「了解です。それだけ確認してもらえていればいいので」

「あ、そうそう、依頼料? 謝礼? はいいのか?」

 それが目的でやっているわけではない。まあ、貰えるならいただきますが、と無難な答えを返す。

「そっか、じゃあ調査の結果にかかわらず、終わったらケーキバイキングでもご馳走してやるよ。峠の相棒も一緒にな。――けど、謝礼が目的じゃないとしたら、一体峠は何が目的でこんなことやってるんだ?」

 ストレートな問いで言葉に詰まるが、あまり真剣っぽくならないよう、冗談めかした言い方で言う。「まあ、単に困ってる人がいたら放っておけないだけですよ。それに、不正な何かが見過ごされたまま放置されるのも許せなくて」

「そっか、お前はいい奴なんだな」

 それは自覚していることだった。

 

 甲斐先輩と別れたあと、僕は彼から貰った例の手紙の画像ファイルを雪(ゆき)に送った。依頼の概要も一緒に添え、調査に付き合ってはもらえないかと頼む。

 十数分後、雪から返信があった。返信の内容は『いいよ』『面白そう』『高校入ってからはじめての事件だよね』。

 ――四十年前、千丈幸哉はどうして死んだのか。自殺ならばどのように心変わりし、他殺ならばなぜ殺されたのか。

 真相は四十年前に葬られた。しかしそこに疑念の余地があるのならば、今さらだろうと掘り返さなければならないだろうと感じていた。

 

(続きは『蒼鴉城 第47号』で)