0
「そういえば、最後に渡したいものがあったの忘れてた」
彼女は背負い鞄(かばん)を肩から外し、チャックを開ける。クリアファイルの中から封筒を一つ取り出して俺に差し出す。
「これ、手紙?」
「他になんだと思うの?」
見るからにして手紙。
彼女が手にしていると、何だかあまり相応しくない様に思えた。
何気ない風に俺に手渡す。
「さよならして、私と、この鉄塔が見えなくなってから開けてよね」
「うん、わかった」
四月四日。
一ヶ月前に中学を卒業して俺は明日から高校の寮に入る。
この場所で、鉄塔の下で彼女と会う機会は当分ないだろう。
「初めてもらった」
「だって今まであげたことないもん」
空は灰色に覆われていて、辺りは既に仄暗い。桜の花も粗方散ってしまい、僅かに枝に残るのみとなった。きっと雲の上に出れば、鮮やかに西の空は焼けていることだろう。
「それじゃあ」
「それじゃ」
いつもの様に別れたつもりだった。
彼女とは反対の道を歩き出す。
だがいつもの様に、――またね、とは互いに言わなかった。
しばらく大麦畑の中の道を歩いた。五月になれば水が溜められて、稲が植えられることだろう。
小さな神社の前で鉄塔を振り返る。鉄塔の奥の道で彼女もこちらを見ていた。
手を挙げて大きく横に振る。
遠く、彼女も振り返してくれた。
彼女が手を下げて向こうを向く。
歩き出した背中は、どんどん小さくなっていく。
俺も前を向く。田畑を抜け、ゴルフ場のネットに沿ってカーブしていくと、やがて住宅街に入る。ここまで来れば鉄塔も見えない。
鞄に仕舞わずに手にしたままだった手紙のシールを剥がし、緘(かん)を開く。
便箋は横書き一枚。思っていたよりも余白が多かった。
わたしたちも中学生では、もういられないんですね。
時間はときどき暴力みたいだとわたしは思います。
わたしの気なんか知らないで、
知らない世界に連れていってしまいます。
三年間ほんとうに、たのしかったよ。
ほんとうに。
五年後、君が成人したらまた会いましょう。
日にちは、わたしとおなじ時をすごした君ならわかります。
じゃあ、しばらく、さよなら。
本文の下には絵が描いてあった。
二人で駄弁(だべ)った鉄塔の下、川と、橋と、田んぼのある風景。
川の左岸には何故だろう、「躑躅(つつじ)」の花の絵が描いてあった。